宇宙よりも遠い場所 5話
まず正直に告白して、少しこのアニメを見誤っていたことを謝りたいと思う。
というのも、前回の記事を参照してもらえれば分かるけれど、僕はちょっとこのアニメを好きになった程度で評論家気取りになってしまい、「南極はしょせん舞台装置にすぎない」とか「モラトリアムを題材にとった、よくある美少女アニメ」(一部歪曲ママ)とか述べ立てている。
しかし、最新話たる5話はどうだ。
いよいよ南極出発直前にあたるエピソードとして、本話ではキマリとその親友めぐみとの人間関係を浮き彫りにすることで、南極に行く動機付けを改めて提示している。
今までのエピソードでは、主にキマリたちが「南極」という同じ目的から、四人でいっしょに行動するようになった流れが描かれている。その流れが進むにつれてめぐみの登場頻度はだんだんと減っていき、その役回りは序盤のアドバイザーや、学校での話し相手という程度だった。
けれど、その限られた場面で垣間見えていためぐみの心情が、このエピソードで集約され、爆発する。彼女の心情描写は少なかったにもかかわらず、めぐみの行動に共感した視聴者は多いはずだ。
(はじめは親友力マシマシの優等生のように見えためぐみだが…)
キマリとめぐみの関係性をもっとも印象付けているのは、やはり子ども時代の公園での一幕だろう。このとき、キマリは砂場で水遊びをしたことを、こう回想している。
「よどんだ水がたまっている。それが一気に流れていくのが好きだった。決壊し、解放され、走りだす。よどみの中でたくわえた力が爆発して、すべてが――動きだす!」(1話・冒頭モノローグ)
5話では、これに対してめぐみの視点が挿入される。
――キマリは夢中になっていた水遊びに失敗し、ぐずってしまう。めぐみは、面倒をみる機会ができたことを内心うれしく思いながら、水を汲んで持ってきてやる。すると、近くの大人にもほめられて、「お姉ちゃんになった気がした」。そして、キマリに『あした、あそんでもいいよ』と言う。
この場面では、二人が実に上手く対比されている。
キマリは、自分の理想に夢中になり、愚直にもそれを実現しようとする。
めぐみは、そんなキマリを一歩引いた目線で世話を焼く。『あした、あそんでもいいよ』というセリフからは、子どもながらの優越感さえ伝わってくる。
二人は、このときからずっと同じ関係を保ってきていた。
けれど、これは対等な人間関係ではないし、長く続くようなものでもない。
だからこそ、ここで変えなければならなかった。
めぐみの告白は、あまりにも剥き出しで、痛々しい。彼女と笑顔で再会するためにも、キマリはきっと南極で成長していくのだろう。
(南極行くぞー!!)